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名古屋地方裁判所 昭和63年(ワ)2033号 判決 1991年1月30日

原告

岩島力一

被告

大塚吉広

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一二三四万五八一三円及びこれに対する昭和六一年二月一五日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が左記一1の交通事故の発生を理由に、被告に対し、民法七〇九条、自賠法三条により損害賠償請求をする事案である。

一  争いのない事実

1  交通事故

(一) 日時 昭和六一年二月一五日午後一時三〇分ころ

(二) 場所 瀬戸市原山台三丁目九八番地先路上

(三) 加害車両 被告運転の普通貨物自動車(名古屋四四や四〇〇三)

(四) 被害車両 原告運転の普通乗用自動車(三五七ち二一九〇)

(五) 態様 加害者車両が片側二車線の中央寄り車線を走行中、進路を左に変更して外側車線に進入した際、外側車線を走行していた被害車両の右側後部に衝突(但し、被告は、接触した程度にすぎないと主張する。)

2  責任原因

被告は、加害車両を保有し、自己のために運行の用に供する者である。

二  争点

1  被告は、被告の過失を争い、本件事故は加害車両の左側面前部と被害車両の右側面後部が接触した程度にすぎず、本件事故により原告が受傷した事実はなく、仮に本件事故後、原告に頸部捻挫等の症状が存したとしても、それは本件事故前の昭和五九年一月三一日発生の交通事故(以下「前事故」という。)によるものである旨主張する。

2  被告は、本件事故による損害額を争うほか、原告には加害車両を追い抜くに際して加害車両の動静を注意して運転すべき注意義務を怠つた過失があるとして過失相殺の抗弁を主張する。

第三争点に対する判断(成立に争いのない書証、弁論の前趣旨により成立を認める書証については、その旨記載することを省略する。)

一  本件事故と原告の傷害との因果関係

1  甲第二ないし第一〇号証、第一七号証、乙第四ないし第七号証、第三六号証、証人加藤義忠の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当日である昭和六一年二月一五日、右大腿外側から足関節にかけての痛みを訴えて水野病院を受診し、右足関節挫傷、右膝関節挫傷との診断を受け、同月二二日まで(実日数六日)通院したこと、右通院期間中の昭和六一年二月一九日、さらに頸部痛をも訴えて頸部捻挫の診断名が追加されたこと、昭和六一年二月二八日、加藤整形外科病院に転医し、同病院においても頸部捻挫、右膝、足関節挫傷との診断を受け、昭和六二年九月五日まで(実日数九三日)通院したこと、次いで、八幡中央病院において昭和六二年九月八日から昭和六三年四月一二日まで(実日数三〇日)、頸椎捻挫の病名で通院治療を受けたことが認められる。

2  ところで被告は原告の右傷害と本件事故との因果関係を争うのでこの点につき判断する。

(一) 衝突の程度

(1) 前記当事者間に争いのない本件事故態様、甲第一号証、第一三ないし第一六号証、第一八号証、乙第一ないし第三号証の各一、二、第四二号証の一、二、原告及び被告各本人尋問の結果(一部)によれば、次の事実が認められ、この認定に反する原告及び被告の各供述部分は措信できない。

イ 被告は、加害車両を運転し、本件道路の中央寄り車線を時速三〇キロメートルで、幡野町方面から緑町方面に向けて走行していたところ、本件事故現場付近は、右にゆるくカーブした上り坂であつたのに、適切なハンドル操作を怠つたために加害車両を歩道寄り車線に進入させ、折から左方より加害車両を時速四〇キロメートルで追い抜き中であつた被害車両の右側面後部に加害車両の左前部を接触させた。

ロ 右衝突の結果、加害車両の左側面前部に軽微な擦過痕が生じ、また、被害車両の右側面後部にも軽微な擦過痕が生じたが、いずれの車両についても修理はなされなかつた。

(2) 証人林洋の証言及びこれにより成立を認める乙第三三号証によれば、次の事実が認められる。

イ 本件事故時の加害車両の速度を時速三〇キロメートル、被害車両の速度を時速四〇キロメートル、衝突角を一二度(原被告両名の立ち会いの下で昭和六一年二月一九日実施された実況見分に基づいて作成された交通事故現場見取図によれば、加害車両と被害車両の衝突角は概ね一二度程度であつたことが認められる。)として、力学計算したところによると、本件事故によつて被害車両に生じた衝撃加速度は、シビアサイドにみて〇・六六G(Gは重力加速度)と推定されるが、これは、自動車が急旋回する時に発生する程度のレベルのものである。

ロ 本件事故によつて被害車両に生じた衝撃加速度を〇・六六Gとすると、本件事故時被害車両の乗員の頸部に負荷されたトルクは〇・一九m-Kgと推定されるところ、右は、メルツとパトリツクがボランテイア及び屍体を使つて行つた衝撃耐性実験の結果を前提にして無傷限界値として提示した動的後屈負荷トルクの二五分の一、静的後屈抵抗トルクの七・六分の一にすぎない。

ハ 三重大学医学部の医師鏡友雄によつて示された追突係数(被突車の有効衝突速度に同じ)と鞭打ち損傷との関係においては、鞭打ち症限界値は一五とされているところ(鞭打ち損傷の発生に対する事故車両の重量と速度の力学的相関「脳と神経」第二〇巻、第四号八八頁)、本件の場合、追突係数は四・七であつて限界値の三分の一以下である。

(二) 頸部捻挫について

乙第八ないし第三二号証、証人加藤義忠の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和五九年一月三一日、前事故により頸部挫傷等の傷害を負い、公立陶生病院において昭和五九年一月三一日から同年二月一日まで(実日数二日)、石川県立中央病院整形外科において昭和五九年二月四日から同月一四日まで(実日数二日)、鳴和総合病院において昭和五九年三月八日から同年九月二六日まで(実日数一四二日)、加藤整形外科病院において昭和五九年九月二八日から昭和六一年二月一二日まで(実日数二一〇日)それぞれ通院治療を受けたが、原告の症状(頸部痛、胸部痛、腰痛)は一進一退で余り改善が見られないままに推移し、昭和六一年二月一二日、後遺障害を残して症状固定した。

(2) 右後遺障害の内容は、自覚症状としては頸部痛、胸部痛、腰部痛であり、他覚症状として頸部、胸部、腰部の運動痛と圧痛が存在するというものであり、後遺症の程度について、自動車保険料率算定損害調査事務所により自賠法施行令別表第一四級一〇号に該当するとの認定を受けている。

以上の事実によれば、原告は前事故による受傷(頸部挫傷等)後、約二年間の治療期間を経てなお頸部痛等の後遺障害を残して症状固定したが、本件事故は、右症状固定日からわずか三日後に発生しているのであるから本件事故時に右後遺障害が消失ないし軽減していたものとは考えにくいし、また、本件事故の前後を通じて原告の治療にあたつている加藤整形外科病院の医師加藤義忠が原告の頸部の痛みについて本件事故の前後で大きな違いはないと思う旨証言していることに照らして、原告の右後遺障害の症状が本件事故により増悪したことも認め難い。

(三) 右足関節挫傷、右膝関節挫傷について

原告は、右足関節挫傷、右膝関節挫傷の受傷機転について、本件事故時、原告の体が右に捻れた時、右足の腿から膝にかけて運転席のドアにぶつかつた、右足首はブレーキを踏んだ時に捻つた旨供述するが、乙第三三号証、証人林洋の証言によれば、本件事故時、被害車両に生じたと推定される〇・六六G程度の加速度では、被害車両の乗員の体がねじれたり、シートに座つた臀部がシートから滑り出す可能性はないことが認められ、右事実に照らし、原告の右供述は措信しがたい。

(四) 以上認定事実を総合して判断すると、本件事故は被害車両の乗員の身体に影響を及ぼす程度の衝撃があつたとまでは認め難いこと、原告が本件事故による傷害と主張する頸部捻挫の症状は前事故の後遺障害の内容に含まれているところ、前事故の後遺障害が本件事故時までに消失ないし軽減していたものとは考えにくいこと等に鑑みると、原告は本件事故により前記一1認定のような長期間の治療を要する頸部捻挫、右足関節挫傷、右膝関節挫傷等の傷害を負つたとは未だ断定できず、結局原告主張の傷害と本件事故との因果関係は立証されていないといわざるを得ない。

二  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(裁判官 深見玲子)

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